F1CD-014C

ロータス・フォード49C (LOTUS FORD 49C) 1969〜1970年


実車について

 
LOTUS FORD 49 1967〜1970年

 1966年F1のエンジン規定が変更され、F1のエンジンはそれまでの自然給気エンジン1.5リッターから一躍倍の3リッターになりました。
多くのコンストラクターはそれまで1.5リッターのコベントリー・クライマックスV8エンジンを搭載していましたが、この規定変更によりエンジンを失うチームが続出します。チーム・ロータスも例外ではなく、やむなくそれまでのコベントリー・クライマックスの改良型で時間を稼ぎつつ、次なるエンジンを模索していました。
 そして欧州市場への市場拡大を狙っていたフォードに資金協力を仰ぎ、元チーム・ロータスのエンジニアだったキース・ダックワース率いるコスワースにエンジン開発を依頼します。この新型エンジンはコリン・チャップマンのアイデアが盛り込まれたものでした。
 開発された新型エンジンは当時としては軽量高剛性なV8エンジンで、シャーシの一部として強度部材としても扱えるものでした。これにより、余計なエンジンサポートを設ける事無くシャーシへの搭載が可能になりました。コスワースDFVと名づけられたこのエンジンの性能を最大限に発揮すべく設計されたのがこのロータスタイプ49でした。
 フォード・コスワースDFVエンジンがシャーシの一部となる事で無駄な重量を防ぎ、強度も保持するというもので、この構造はその後のF1マシンのスタンダードとなりました。そしてこの優れたV8エンジンの存在がその後の多くのF1チームの登場を促す事になるのです。コスワースDFVは1967年から実に18年後の1985年まで使われ続けF1のスタンダードエンジンとして君臨するのです。
 また、F1の世界にスポンサーを持ち込んだのもこのタイプ49が初めての事でした。
それまでは、それぞれのナショナルカラー(ロータスの場合はイギリスなのでグリーン)をまとって走っていたのですが、1968年、ゴールド・リーフ・タバコのスポンサードを受け、初めてスポンサーカラーに塗ったマシンがサーキットに登場したのです。
 
 ロータスType49  ZF製ギヤボックス搭載車 (1967年)
 ロータスType49B ヒューランド製ギヤボックスに換装 (1968〜1969年シーズンによりウィングの取り付け方に差異があります)
 ロータスType49C 新型タイヤに合わせサスペンションを改良(1970年)

 デザイナー コーリン・チャップマン、モーリス・フィリップ 
 ドライバー ジム・クラーク(1967〜1968年)、グラハム・ヒル(1967〜1969年、1970年はプライベーター)、ヨッヘン・リント(1969〜1970年)、
ジャッキー・オリバー(1968年)、マリオ・アンドレッティ(1969年南アフリカGP)、リチャード・アトウッド(1969年モナコGP)、ジョン・マイルズ(1970年)、エマーソン・フィッティパルディ(1970年)
 
ジョー・シェフェール(1968〜1969年プライベーター)、
エビー・ウェーツェス、ジャンカルロ・パゲッティ、モイセス・ソラーナ、ビル・ブラック、ヨアキム・ボニエ、
ジョン・ラブ、ピート・ラブリー、デイブ・チャールトン、アレックス・ソーラー-ソイグ
(以上プライベーター)

戦績 (1967〜1970年)

1967年 ジム・クラーク グラハム・ヒル エピー・
ウェーツェス
ジャンカルロ・
パゲッティ
モイセス・
ソラーナ
予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝
オランダGP 8位 優勝 1位 リタイア
ベルギーGP 1位 6位 3位 リタイア
フランスGP 4位 リタイア 1位 リタイア
イギリスGP 1位 優勝 2位 リタイア
西ドイツGP 1位 リタイア 13位 リタイア
カナダGP 1位 リタイア 2位 4位 17位 リタイア
イタリアGP 1位 3位 8位 リタイア 17位 リタイア
USAGP 2位 優勝 1位 2位 7位 リタイア
メキシコGP 1位 優勝 4位 リタイア 9位 リタイア


1968年 ジム・
クラーク
グラハム・
ヒル
ジャッキー・
オリバー
ジョー・
シェフェール
ビル・
ブラック
マリオ・
アンドレッティ
モイセス・
ソラーナ
予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝
南アフリカGP 1位 優勝 2位 2位
スペインGP 6位 優勝 10位 リタイア
モナコGP 1位 優勝 13位 リタイア 3位 リタイア
ベルギーGP 14位 リタイア 15位 5位 9位 リタイア
オランダGP 3位 9位 10位 周回不足 13位 リタイア
フランスGP 9位 リタイア 11位 未出走 12位 11位
イギリスGP 1位 リタイア 2位 リタイア 4位 優勝
西ドイツGP 4位 2位 13位 11位 9位 リタイア
イタリアGP 5位 リタイア 11位 リタイア 9位 リタイア
カナダGP 5位 4位 9位 リタイア 3位 リタイア 20位 リタイア
USAGP 3位 2位 16位 未出走 12位 5位 1位 リタイア
メキシコGP 3位 優勝 14位 3位 1位 6位 11位 リタイア


1969年 グラハム・
ヒル
ヨッヘン・
リント
マリオ・
アンドレッティ
リチャード・
アトウッド
ジョー・
シェフェール
ヨアキム・
ボニエ
ジョン・
ラブ
予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝
南アフリカGP 7位 2位 2位 リタイア 6位 リタイア 12位 4位 17位 リタイア
スペインGP 3位 リタイア 1位 リタイア 6位 リタイア
モナコGP 4位 優勝 10位 4位 5位 3位
オランダGP 3位 7位 1位 リタイア 10位 2位
フランスGP 8位 6位 3位 リタイア 9位 9位
イギリスGP 12位 7位 1位 4位 9位 8位 ピート・
ラブリー
西ドイツGP 9位 4位 3位 リタイア 4位 リタイア 14位 リタイア
イタリアGP 9位 9位 1位 2位 8位 8位 予選 決勝
カナダGP 7位 リタイア 3位 3位 8位 リタイア 16位 7位
USAGP 4位 リタイア 1位 優勝 5位 リタイア 16位 リタイア
メキシコGP 6位 リタイア 5位 リタイア 16位 9位


1970年 ヨッヘン・
リント
ジョン・
マイルズ
グラハム・
ヒル
ジョン・
ラブ
デイブ・
チャールトン
アレックス・
ソーラー-ロイグ
ピート・
ラブリー
エマーソン・
フィッティパルディ
予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝 予選 決勝
南アフリカGP 4位 13位 14位 5位 6位 19位 22位 8位 13位 12位
スペインGP 15位 4位 予選落ち
モナコGP 8位 優勝 20位 予選落ち 12位 5位
ベルギーGP 2位 リタイア 16位 リタイア
オランダGP 20位 周回不足 23位 予選落ち
フランスGP 20位 10位 22位 予選落ち 23位 予選落ち
イギリスGP 22位 6位 23位 周回不足 21位 8位
西ドイツGP 20位 リタイア 13位 4位
オーストリアGP 16位 15位
イタリアGP
カナダGP
USAGP 26位 予選落ち
メキシコGP

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